この作品は、岩手県北から青森県南に広く伝わる「なにゃどやら」という盆踊りのお話です。
私はこの「なにゃどやら」の盆踊りについて書かれた柳田国男のエッセイ「清光館哀史」をきっかけにして、去年の夏、岩手へフィールドワークに出かけました。

盆踊りに親しむ方々に出会い、土地の言葉を聞き、そこの風に触れると、彼らが自分と同じ今を生きているのに別の次元にいるような、どこか止まったような独特の時間を生きていることに気付きました。
おそらくこの時間はこれからも変わらず波と音と共にずっと続いていくのだろうと思います。
そして語源・意味について共に不明とされるこの謎の盆踊り「なにゃどやら」を、とても自然に、謎であるまま受け止めることができたのです。 

今回は私が「清光館哀史」を読み岩手を訪ねて感じた感覚を、そこの土地の言葉を使って、演劇という形をとりながらあえて展開のない話で表現したいと考えました。
又、視覚的要素と聴覚的要素を別空間で作り、踊りを見ながらこの謎の盆踊りについて想像を膨らませたり、お話を聞きながらその風景を思い浮かべたりできるようにと考えました。

言葉ではうまく言い表せないけれど私の足をそこへ向かわせた何かこの土地の魅力を、なにゃどやらの不思議に耳に残るメロディーとと共に感じて頂けたら幸いです。