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岩手の競馬前史(3)

南部駒、命名の由来と始まり 後篇  2010年2月12日(木)

好き嫌いは別として、南部氏を任命した源頼朝氏のけい眼には、ただただ敬服するばかりだ。南部氏のふるさとの甲斐馬とこの地の在来種をかけあわせることによって、さらに良質な馬を生み出すことができたからだ。

競馬発祥の地・イギリスでサラブレッドを誕生させて300年以上の歴史を重ねてきたが、危機に瀕することが何度もあった。売り上げが低迷したからではない。

元々、貴族、王族によって支えられてきたイギリスゆえ、馬券発売は二の次(実際は売り上げも必要だったが)。競馬を世界に広め、競馬産業で成り立つことを主目的としていたのだが、最大の危機は『血』が停滞してしまったときだった。

第1回で報告したようにサラブレッドのルーツは3頭にたどりつく。これが由緒正しき血統競馬であるゆえんでもあるのだが、逆の見方をすればサラブレッドの歴史は近親交配の歴史。

ダービー馬からダービー馬が競馬の理想であり、強い牡馬と強い牝馬をかけ合せるのが基本原則。しかし、近親交配を進めていくと、体質が弱い馬が生まれてくるのは当然のこと。トップレベルを保っていればこそ発祥の地たる面目も立つのだが、近親交配のツケがジワジワと広がるばかり。能力低下は深刻な問題となっていた。

その停滞を救ったのは何であったか。実は余りモノ(馬)を輸出したアメリカの馬たちだった。ルーツはもちろんイギリスだが、アメリカへ渡ったのはごく一部を除いて落ちこぼれの馬たち。必然的に代を重ねていけばいくほど本流(イギリス)からかけ離れ、アウトブリード(異種血統)の道をたどっていった。

イギリスから見ればアメリカで繁栄しているのは雑種血統。いわゆる二流、三流の血統馬でプライドの高いイギリスのホースマンは明らかに蔑視していた。

しかし、どこでどう転がるか本当に分からない。とあるホースマンが試しにアメリカ馬に自国イギリスの馬を配合させてみたところ、息を吹き返すどころか「強い馬」が続々と誕生。エリート血統に雑種血統をかけ合わせることによって再び勢いを取り戻した。

またアウトブリードではないが、現在の主流血統といわれる90%以上はイタリアでフェデリコ・テシオ氏が生産したネアルコであり、20世紀後期から一大潮流となったノーザンダンサー(祖父はネアルコ)もカナダ生まれである。

外部(異種)の血を入れることで活気が出、さらに繁栄していく―。これはサラブレッドの世界だけに限ったことではないと思っている。

冒頭の話に戻る。この地で生まれた馬たちが優秀であったのは紛れもない事実。だが、東北北部だけによる配合をずっと繰り返していたら、イギリスの例を引き出すまでもなく次第に活力が薄れていくのは避けられないこと。

源頼朝氏が南部氏をこの地に赴任させ、同氏が持ち込んだ甲州馬と在来種をかけ合わせたのが後の南部駒ブランドの始まり。それを考えれば頼朝氏の政策、人事が馬産の一大転機をもたらしたとも言えるだろう。

ずっと疑問に思っていたことがある。今でも解決つかないのだが、なぜ南部駒以前の在来馬たちも優秀だったのか。次回はそれについて言及してみたい。
(第4回へ続く)

テシオ情報局 編集長 松尾康司

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