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岩手の競馬前史(7)
南部駒のルーツをさぐる その4 2010年4月15日(木)
なぜ、「北路」にこだわっているのか。これまでの通説どおり、馬は中国本土から朝鮮半島経由で九州へ上陸した―を否定せず、素直にそれを受け止めればいいではないか、と言われそうだ。
実は数年前まで自分もそう思おうとしていた。反論できる根拠がほとんどなかったし、どうでもいいと言えばいいこと。なぜ、みちのくの馬が他の在来馬に比べて体高が10センチから20センチも高かったのか―をいまさら追求しても確たる証拠も文献すらもなかった。
しかし、2箇所の実地検証で朝鮮半島(実際は済州島だが)、宮古島で在来馬に直接会って明らかに血種が違うと確信した。
何年か前、韓国に渡ったメイセイオペラに会うため済州島を訪れた。メイセイオペラはハルラ山の中腹にあるプルン牧場(プルンは韓国語で青い)で、今も元気に種牡馬生活を送っているが、面会後、同牧場のキム・ヂョンシク社長が済州島名物のポニー競馬場へ案内してくれた。
残念ながら競馬開催中でなかったのでレース観戦はできなかったが、その代わり厩舎で実際の競走馬を見ることができた。驚いたのは、いかにポニーとは言え非常に小さかったこと。中に大きめの競走馬もいたのだが、それらはサラブレッドとの配合によって。
純然たる済州馬(チョランマル)は体高が1mちょっと。現在、済州馬は天然記念物として保護され、種を絶やさないよう国が管理する研究所もあり、キム・ヂョンシクさんに無理を頼んでその研究所にも行ってみた。
入場口には警備員が立ち、途中で車を洗車機のようなもので完全消毒をしなければ研究所の中に入れないほど完全な防疫態勢を敷いていた。
そこで改めて観察したのだが、種牡馬でけい養、保護されている済州馬があまりにも小さすぎて驚いてしまった。これが日本へ渡ってきたルーツだとしたら、荷駄馬ならともかく、戦闘用としては明らかに不向き。表現は悪いが、貧弱すぎた。
とある人に反論された。種の原理として孤島にいる動物は小型していくと。なるほど、と思った。第3回でサラブレッドが近親交配によって虚弱化、能力低下を引き起こしていったと記したが、それと同じことが済州馬にも言えるかもしれない。
ただ、それにしても小さすぎた。仮に大型化を目指したとしても、よほどの突然変異がない限り、あの小型馬を大型化するにははっきり限界があった。それほどまで小さかった。
同じことが宮古馬(沖縄の宮古島)にも言えた。こちらも天然記念物として保護されていたのだが、放牧(基本的に柵内で放りっぱなし)されていた宮古馬も本当に小さかった。気性は結構荒いのだが、人と並ぶとその小ささは半端ではなかった。
おそらく済州馬とルーツは同じだと思うが、移動手段としてはともかく、戦闘用としてはどう考えてもそぐわない体格だった。
(第8回へ続く)
テシオ情報局 編集長 松尾康司